群馬大学医学部附属病院
システム統合センター 副センター長・准教授
鳥飼 幸太
日曜午前2時。担当病院サイトの障害対応番号から電話がかかる。背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、冷静を装って電話に出る。「電子カルテが起動しないんです」という第一声に、緊張が走る。電力会社の停電一覧を見ると、5分ほど前に落雷と瞬停が記録されている。先週S.M.A.R.Tがディスクセクタの異常を警告していたのを思い出す。おとといは病理部門が新しい検査機器をネットワークに接続してソケット通信試験を始めたばかりだ。先月はネットワークループ障害で放射線検査の予約が中止になり、患者と現場からクレームが来たと連絡がきた。60分で現場に駆け付けたとして、明け方までに何人支援に向かってくれるだろうか。障害切り分けできるあのエンジニアは含まれているだろうかー。
「働き方改革」という言葉が大流行しても、システムを稼働させ続ける担当になった者には、システム障害は偶発的故障という神様のはからいにより試練として発生し、契約仕様書で合意した月曜から金曜の9時から17時の間で都合よく起きてくれるわけじゃないことをその肌身で知っている。そして市民もまた、心不全や脳溢血、重大事故などによる生命の危機が夜中に起きたって何の不思議もないことをどこかで分かっている。私たちがそれでもなんとか夜憂いを脇に置いて眠ることができるのは、「病院は必要な時に必ず稼働してくれて、適切な救命をしてくれる」と信頼しているからである。しかし情報システムの支援を受けている21世紀の医療スタッフは、患者さんに「大丈夫ですよ」とにこやかに対応しながら、その心の中では船底に穴が開いたフェリーのように、検査結果の確認や診療録の入力や保険書類の記載や薬剤の禁忌確認や、絶え間なく入り込んでくるTodo情報の浸水によって、知識の積荷は倒壊しはじめ、情緒のクルーは酸欠でパニック状態である。
さて、日常的に情報処理に多忙を極めた医療現場で、重篤なシステム障害が発生した最中に、心停止した患者が運び込まれた際に、病棟では入院患者の状態が急変したら、その先にはどれほどの試練が待ち受けているのだろうか。医療者が現場の実感として知っているのは、このような話がたびたび現実になるということである。そしてハインリッヒの法則によれば、現実化した1つの重大インシデント背景には300のヒヤリハット事象が付随している。
畑中洋太郎先生が「失敗学会」を立ち上げ、「世界の技術は失敗の経験から、これを丹念に調査し、防ぐ技術を考案し、これを蓄積することによって実質的な進歩を遂げてきた」として、失敗の蓄積と予防、失敗知識の継承を推進されてきた。病院情報システムは、極めて高い稼働信頼性が必要であり、情報の洪水を小川のせせらぎにまで整流することが求められている。それにも関わらず、多くの医療経営者は高額な最新型CTの導入には熱心でも、堅牢な情報システムの提案には関心が薄いように思われ、震災、テロなど有事における稼働信頼性に強い危機感を募らせている。エニグマの解読がナチスドイツの独裁を打ち破る鍵だったように、情報に通底し、システムに投資することが正しい戦略を導く病院マネジメントの生命線であると固く信じている。
2011年3月の東日本大震災で計画停電の実施対象になったことを契機に、群馬大学医学部附属病院では「災害に強い病院システムをつくる」というミッションが定義され、総計4500kWの自家発電機、ハブを含む通信機器200箇所の無停電化、1300本の光ファイバーによるFTTD、SSDによる2重系RACサーバを設備することを病院長にご承認いただき推進した。これによりトラブル対応は相当に減らせたと感じているが、理想への道のりは地道なアナログ改善でもある。2016年8月に前橋市全体で30分ほどの停電が起きて駆け付けた際には、サーバ室の空調が自動復旧していないことに気づき、慌ててサーキュレータを運び込む場面もあった。
病院情報システムの運用戦略は、医療スタッフが情報の洪水に溺れないようにケアし、「アラート地獄」と揶揄されるTodo通知を洗練することが、現場に時間余裕をもたらし、医療事故を未然に防ぐ効果に繋がる。緊急連絡を含めて通知する通信網およびサーバ、データベースには、耐災害性を有するシステムと同様に、確実な動作信頼性が求められる。DICOMやHL7を正しく処理できる接続プロトコルがパッケージとしてカバーされている製品を積極的に選択することも動作の確実性に大きく寄与する。高いレスポンスは、単に便利で快適であるだけでなく、多忙な医療現場で求められるワークフローの運用実現性に直結しており、システム間においてはタイムアウトや遅延による予期せぬ運用障害を生じさせないためにも欠かせない。
多様な部門システムが接続されるメッセージセンターとしてのサーバは、高レスポンス、高可用性、通知イベントの易メンテナンス性が必要条件である。さらに、医療スタッフが個別に適切な情報を受け取り、その場でリアクションできる院内スマートフォンを確実に動作できるインフラが伴って初めて、医療における「働き方改革」が現実のものにできると確信している。
医療の質指標の向上はIT抜きには実現されない。高いインパクトファクターを持つ医学雑誌がITを駆使したインシデント防止の実証論文を多数掲載し始めている。私たちが夜安心して眠れるような、医療現場での「働き方改革」を実現するには、もっともっと現場で活躍するシステム設計者、医療情報マネージャーの採用を積極的に行うかどうかにかかっている。